「GP5000は宗教だ」と言われる理由【後編】私が見てきたリアルなエピソード集

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GP5000が「宗教」と呼ばれる理由は、性能でもブランドでもありません。

それは――
使っている人たちの“振る舞い”が、あまりにも宗教っぽいからです。

ここからは私自身が見てきたこと、体験したこと、そしてロードバイク界隈でよく目にする「あるある」をまとめていきます。

なお先に断っておきますが、本記事は信仰をすすめる記事でも、否定する記事でもありません。

むしろ「分かりすぎて笑ってしまう話」です。

たっち

ネタ要素を含む記事なので、気軽に読んでくださいね。

本記事は、「GP5000宗教記事」の後編です。
→前編はこちらから

タップできる目次

目次録

GP5000宗教圏に伝わる定番エピソード・あるあるなどをまとめました。

これはもう、ロード界隈にまつわる“民俗学”と言ってもいいでしょう。

美人秘書

それでは、後編スタートです!

エピソード・信者あるある
  1. 信仰の始まり
  2. 最初の儀式「洗礼」
  3. 魂の救済
  4. 異端の許容
  5. 改宗と回帰
  6. 議論破壊兵器
  7. 数値信仰
  8. 重量論争と回転体理論
  9. 嵌める儀式
  10. 派閥抗争
  11. 異教徒との関係
  12. 終末論
  13. 逆張り信者
  14. 誰も語らない闇
  15. 最大の罪

信仰の始まり

GP5000信仰の始まりは、だいたいこんな感じ。

「迷ったらGP5000でいいと思うよ」

誰かに強くすすめられるわけでもない。

ゴリ押しもない。

ただ、あまりにも自然にすすめられる。

熱弁などもありません。

そして装着後、数km走ったところで思うのです。

「……あれ?普通に良くない?」

この時点で、あなたはすでにGP5000教の入口に立っているのです。

美人秘書

善意100%のおすすめですからね。

たっち

そんな一言の積み重ねが信仰を加速していくのです。

最初の儀式「洗礼」

初めてGP5000を履いた人が、ほぼ例外なく言う言葉があります。

「転がり軽っ!」
「なんか速くなった気がする」
「今まで何やったんや…」

これ、気のせいじゃありません。

GP5000は、

  • 転がり抵抗
  • 路面追従性
  • コーナーの安心感

このあたりの体感差がデカい

たっち

そしてその体感差は、初心者ほど大きく感じられるのです。

結果どうなるか?

「いや、マジで違うから。一回履いてみ?」

洗礼を受けた信徒たちは、そう説いて回ることになるのです。

美人秘書

こうして布教が広まっていくのですね。

魂の救済

「レース前に変なタイヤ履くと不安だから、GP5000にしておこう」

こういう人はメチャメチャ多いです。

  • 本番前に新しいタイヤを試すのは怖い
  • でもGP5000なら「知ってる感覚」
  • 周りみんな履いてるし
  • 失敗しても言い訳できる

性能以上に“精神的バフ”がかかるのです。

GP5000の絶大なる安心感。

これが宗教扱いされる最大要因かもしれません。

たっち

何も不安に感じることなく、魂を預けられるのです。

異端の許容

この宗教が珍しいのは、異端にやさしいところです。

「別のタイヤ使ってます」

「ああ、全然いいと思いますよ」

GP5000信者は常に穏やか。

怒られない。
排除されない。

ただし最後に、必ずこう付け加えられる。

「まあ、GP5000も一回は使っといた方がいいですけどね」

美人秘書

しっかりと逃げ道は用意されているのね…

宗教なのに、異端を許容する。

これがGP5000宗教の不思議なところです。

たっち

どのタイヤにも熱狂的な信者はいます。
彼らは異教を許容しませんが、GP5000信者はメチャメチャ寛容。

改宗と回帰

「◯◯タイヤが良いって聞いて履いたんだけどさ…」
「なんか違って、結局GP5000に戻した」

これは本当に多いです。

  • 他社の高級モデルに改宗
  • 最初は「悪くない」
  • でも何かが違う
  • 数カ月後、GP5000に帰還

この現象を「巡礼の旅」と呼ぶことも多いです。

一度GP5000が基準になると、他のタイヤが「悪くないけど……」になる。

これが宗教の回帰現象です。

たっち

決して堕落などではありません。

性能が良すぎるがゆえの半笑い表現として、

  • 「必ず一回は離れるくせに、また帰ってくる」
  • 「出家と還俗を繰り返す」
  • 「結局、信仰が深まっただけだった」

などと揶揄されることも多いです。

議論破壊兵器

A「最近◯◯タイヤどう?」
B「転がりはいいけど耐久がね…」
C「グリップは良いんだけど雨が…」
D「……GP5000でよくない?」

――終了。

性能の暴力ですべてを無に帰す議論破壊兵器。

これがGP5000が宗教扱いされる大きな要因です。

「GP5000出すのは反則」
「それ言ったら話終わる」
「最適解出すな」

これもタイヤ談義ではあるあるのやり取りです。

脳死GP5000
  • 「考えるのやめて脳死でGP5000」
  • 「もう思考停止GP5000」

という辛口表現も使われることがあります。

たっち

言われた側も、「まあ否定できないんだけど…」となる絶妙なラインです。

数値信仰

GP5000教には、「数値信仰」と呼ばれる独自の教義を信仰している一派も存在します。

  • Bicycle Rolling Resistance の数値
  • 実測データ
  • パワーメーター

「転がり抵抗至上主義」に代表される彼らの拠り所は、これらの数値。

それを実走で感じ取れるかどうかは二の次です。

たっち

彼らにとっては、数字がそこにあること自体が大切なのです。

「いや、数値出てるから」

この言葉で、感覚論を物理で殴る。

そんな彼らに対して言われがちなのが、

  • 「理屈っぽい」
  • 「数字の宗教」
  • 「グラフ崇拝」

でも実際にGP5000は本当に数値が強いので、今後も数値信仰勢力が衰えゆくことはないでしょう。

たっち

GP5000信者の中では、扱いに気をつかう一派ではあります。

重量論争と回転体理論

A「GP5000ってちょっと重くない?」
B「いや、転がり抵抗考えたら誤差」
C「回転体だから…」
D「でも実測だと…」

——永遠に終わらぬ重量論争。

宗教的構図
  • 軽量至上派:塊の軽さを求める
  • GP5000派:速度という救済を求める

「数gの重さを巡る信仰」には変わらないが、この両者の教義には大きな隔たりがあるため、和解することは困難である。

「回転体は軽いほうがいい」
これはもう、聖書の一節レベルで引用されるフレーズ。
タイヤ重量の話になると、必ず誰かが唱えるので厄介です。
決して反論は許されません。
なぜなら、(彼らいわく)理論だから。

嵌める儀式

GP5000を語る上で避けて通れないのが、嵌めにくさ

  • 鬼のように硬い
  • 素手では無理
  • 心が折れる
  • レバー複数本必須

だが嵌め終わった瞬間、なぜか誇らしい。

この儀式を乗り越えた者だけが信者になれるというGP5000教ならではの風習。

これこそが「神が与えたもうた試練」

最近のモデルでは改善されつつありますが、このイメージはまだ生きています。

たっち

まさに信仰心が試される時です。

派閥抗争

  • GP5000 TL派
  • GP5000 S TR派
  • クリンチャー派

同じ宗教なのに、このような内部抗争が存在しています。

同じ宗教内で争ってるのが面白い。

互いの呼び名
  • 「TLは修行僧」
  • 「S TRは現代宗派」
  • 「クリンチャーは原理主義者」

異教徒との関係

  • ヴィットリア派:「乗り味!しなやかさ!」
  • シュワルベ派:「全天候!安定!」

このように他教を信仰している者もいます。

  • 軽さ至上主義
  • 耐久性至上主義
  • 転がり抵抗至上主義
  • 価格至上主義

教義は宗派によってさまざまですが、GP5000信者は決して彼らと争いはしません。

「ああ、分かります」
「でもGP5000もいいですよ」

決して侵略することはなく、あくまで共存路線を貫きます。

そして異教徒たちも、一度はGP5000を履いたことがある元・信者たちなのです。

終末論

「GP5000、終わるらしいよ」

新製品が出るたびに囁かれるが、毎回外れます。

  • 「新作◯◯がGP5000超えた」
  • 「次世代は別物」
  • 「もうGP5000は時代遅れ」

→ 数ヶ月後

「で、結局GP5000でいいよね」

たっち

むしろ信仰は強まっていくのです。

宗教的サイクル
  • 終末論
  • 新救世主
  • 検証
  • 現世復帰
たっち

これが何年も繰り返されています。

逆張り信者

「俺はGP5000を使わない!」

そんな誓いを立てる者もいます。

GP5000をあえて外すことで、「通」アピールを目論む異端の徒です。

履いてないと言いながら、なぜか一番詳しいし、一番語る。

これもまた、立派な信者のカタチなのです。

彼らにおいては、“履いたことがある”が前提条件

未履修だと教義の正統性が弱くなるため、GP5000を擦り倒して知り尽くしているのが特徴です。

そして、「好みの問題だけどね」と圧をかけてくるのです。

誰も語らない闇

  • 欲しいサイズがない
  • 値段が静かに上がる
  • すぐに売り切れる

だが誰も深く詮索しない。

たっち

「信仰」とは、そういうものか…

あえて誰も触れようとしない闇を抱えているのは、他のタイヤ信者と変わりありません。

最大の罪

「悩む楽しみを奪った」

  • タイヤ選びが楽しかった
  • 迷う時間が趣味だった
  • インプレを読むのが好きだった

それなのに、GP5000を履いた瞬間、

「あ、これでいいや」(――終了――)

趣味性を殺す完成度

だからこそ、信仰の対象となったのです。

たっち

洗礼→思考停止→信仰→崇拝。
ラインが完成されている…

GP5000宗教:まとめ

GP5000って、

  • 最速じゃないかもしれない
  • 最軽量でもない
  • 最しなやかさでもない

でも、

「後悔しない確率が異常に高い」

この一点で、宗教になったタイヤです。

  • 「帰れる場所」
  • 「比較の基準」
  • 「思考停止していい選択肢」

盲信はしない。
否定もしない。

理解した上で、使う。

GP5000とは、そんな付き合い方をするのがいいのかなと思っています。

たっち

GP5000教は信仰というより、「考えなくて済む安心感」への依存なのかもね。

本記事は、「GP5000宗教記事」の後編です。
→前編はこちらから

美人秘書

皆さんのようにネタとして楽しめる人がいるから、この文化が面白く続いていけます。自転車界隈のオモシロ話、これからも紹介していくので、楽しみにしてください!

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